2007年11月12日

高崎周辺のぶらり水紀行 vol-1

2007/06/15号ちいきしんぶん掲載


「船尾滝」落差72m(北群馬郡吉岡町)
水沢観音から榛名山の名瀑を訪ねて

 船尾滝を初めて見た人は、必ずやその豪快さと美しさに息をのむ。榛名山中随一、県内でも屈指の名瀑である。涼を求める夏企画の新シリーズ第一回は、水沢観音から船尾滝をめぐるハイキングコースを歩いた。



■小さな旅の始まりはバスに乗って
 高崎駅西口より、伊香保温泉行きのバスに乗り込む。
 船尾滝周辺は「船尾自然公園」として整備されているため、車で行ったことのある人は多いと思うが、あえてこのシリーズではマイカーに頼らず、すべて公共交通機関を利用して移動することにした。もちろん毎回、温泉に入るお約束も忘れてはいない。
 約50分で「水沢」に下車。一つ先の「水沢観音」でもよいが、駐車場から境内に入り込むのも味気ない。折角、マイカーを持たずに来たのだ。山門から王道で参詣したい。うどん街を見下ろす急な石段を上ると、坂東十六番札所「五徳山水沢寺」の本堂に出る。水沢観世音が安置されていることから、地元では水沢観音の名で親しまれている。観光名所だけあり境内は、たくさんの参詣者で賑わっていた。ここが今回の出発点となる。
 万葉植物苑へ続く急な階段の入り口に、船尾滝方面を示す標識がある。土砂崩れを知らせる貼り紙があるが、いったいいつのものか。風雨にさらされて、ヨレヨレである。広いコンクリートの道が森へ延びている。何人ものハイカーが向かって行った。どの程度の土砂崩れなのか、自分の目で見てコースを判断することにした。

■ひと筋の白い尾を引く華麗な滝
 ほどよく間伐された杉林の道は、やわらかな日の光に満ちていて、とても気持ちがいい。2度ほど植物苑からの道と合流した後、左側が開けた山肌をトラバース(斜面を横切る)しながら進む。谷側の要所にはロープが張ってあるので、安心して歩ける。鋭角に回り込んだ沢筋で、崩落場所を発見! 貼り紙に書かれていたのは、ここのことのようだ。確かに登山道を土砂が覆っているが、すでに複数のハイカーたちが通り過ぎたようで、踏み跡による道ができている。同行した本紙スタッフは難なく渡ったが、高所恐怖症の僕は一旦沢に下りてから向かいの尾根道に登った。小さい子供連れや登山に不慣れな人は、遠回りでも引き返して車道から滝を目指すことをお勧めする。これからハイシーズンを迎えるにあたり、一日も早い復旧整備をしていただきたいものだ。
 鉄製の階段を下って小さな沢を渡ると、車道に出た。ここが車での終点駐車場となる。以前はもっと上まで車で行けたが、現在は通行止めとなっている。
 つづら折りの舗装路を、くねくねと標高を上げながら登る。時折、木々の間から遠くに、白い線を描いて落ちる美しい滝の姿が見える。「なるほど、船が通り過ぎた後にできる白い波の尾のようだ」と感心しながら眺めていたが、どうも「船尾」とは当て字のようだ。かつて、この付近一帯は神聖な地であって入山が許されなかったゆえの呼称「不入(ふにゅう)」からきているという。
 水沢観音からゆっくり歩いて約50分。断崖絶壁から豪快に落下する滝を見上げる吊り橋に着いた。

■マイナスイオンをたっぷり浴びて
 確か以前来たときは滝壺まで行けたはず……と、道を探すと橋のたもとから滝に向かって遊歩道が延びていた。ところが入口に「注意」と書かれた看板が立っている。「この先落石が多発しているため立ち入らないでください」とのことだ。でもロープやゲートによる通行止めにはなっていない。注意なのか、禁止なのか? 何とも判断しかねる曖昧な表記である。仕方なく、吊り橋からの眺めを堪能するすることにした。
 かれこれ10年近く前の夏のこと。まだ小学一年生だった息子と二人で、今回と同じコースをたどったことがある。小さな手を取り、川の中の石を渡って滝壺まで登った。滝口から勢いよく飛び出した水の帯が途中の岩盤で砕け、シャワーのように降り注ぐ真下で、無邪気にはしゃいでいた幼い息子の姿がよみがえってきた。遠い夏の日の思い出である。
あの日のように水しぶきを浴びることはないが、それでも橋の上はひんやりと涼しい。見る見るうちに汗が引いて行くのがわかる。マイナスイオンをたっぷり浴びたら、お腹が空いた。途中までもどり、船尾像なる観音像の建つ整備された広場で、少し早めの昼食をとった。
 復路は、そのまま真っ直ぐ車道を県道まで下り、一路「しんとう温泉」を目指す。歩行距離約7km、船尾滝からの標高差約400mの長い長い下り道をひたすら歩いた。途中「ハルナグラス」に立ち寄り、見学がてら休憩をとり、ふたたび歩き出す。アスファルトの照り返しは厳しいが、温泉とビールのためならエンヤコラである。
 歩行時間約1時間半で、しんとう温泉ふれあい館へ到着。ここからは高崎駅行きのバスが出ている。最終の時刻を確認した後、ゆっくりと疲れた体を湯舟に沈めた。
(フリーライター/小暮 淳)