2006年12月02日
高崎周辺の里山をゆく vol-1
2006/12/01号ちいきしんぶん掲載
「多胡碑」に書かれた羊太夫(ひつじだゆう)の城山
八束山(やつかやま) 標高452・3m 多野郡吉井町
吉井町には「吉井三山」と呼ばれる3つの山がある。その姿が牛が横になった形に似ている牛伏山、山容が女性の寝姿に似ていることから別名を「多胡美人」とも呼ばれる朝日岳、そして2つの山の中央にそびえる八束山だ。国指定特別史跡「多胡碑」に書かれている羊太夫の居城と伝えられていることから、地元では「城山」の名で親しまれている。
「多胡碑」に書かれた羊太夫(ひつじだゆう)の城山八束山(やつかやま) 標高452・3m 多野郡吉井町
吉井町には「吉井三山」と呼ばれる3つの山がある。その姿が牛が横になった形に似ている牛伏山、山容が女性の寝姿に似ていることから別名を「多胡美人」とも呼ばれる朝日岳、そして2つの山の中央にそびえる八束山だ。国指定特別史跡「多胡碑」に書かれている羊太夫の居城と伝えられていることから、地元では「城山」の名で親しまれている。
■まずは地元信仰の山、浅間山(せんげんやま)を目指す

吉井町塩地区にある佐藤金属工業の斜め前に、登山者用駐車場がある。登山道入口は、その先100mほど行った右側。まずは手前のピーク、浅間山を目指して登り出す。
雑木に囲まれた道は広くて歩きやすいが、ひたすら登りがつづく。雨が降った後でもないのに路面が湿っているのは、沢筋の日陰道だからだろうか。滑りやすいので注意が必要だ。10分ほどで、虚空蔵様を祀ったお堂の境内に出た。毎年、春には地元塩地区の人々により祭りが行われるという。吉井町から赤城山方面の眺望がいい。お堂の先、約40mの分岐を浅間山方面に行かずに10mほど直進すると「蚕神社」がある(道標はない)。神社といっても大きな岩の上に石碑があるだけだが、地元の人たちがかつての養蚕の繁栄を願って建てたもののようで興味深い。
浅間山山頂(278m)では、大きな「天狗松」が出迎えてくれた。ねじれ曲がった独特の形をした松だが、残念ながら枯れてしまっている。その昔、この山に天狗が棲んでいたという言い伝えがあるらしい。そう、地元の小学生の可愛い字で書かれた説明板が立っている。
■ひつじさまの伝説が残る尾根道歩き

小休止のあと、八束山の山頂を目指して歩き出す。折角ここまで登ってきたのに、一旦下るとはもったいない……。そう思いながら見上げる八束山の姿は、高く大きく見える。でも、もうひと頑張りだ。
なだらかな尾根づたいの道が始まり、ここからの景色が素晴らしい。東方が開け、牛伏山の雄姿が視界いっぱいに広がった。南側から望む無骨な山容と異なり、シャープな稜線を描いている。時折、西方の木々の間からは、もう一つの吉井三山、朝日岳が望める。羽衣をまとったような尾根筋が美しい、「多胡美人」の名に恥じないフォルムである。
浅間山から約20分、「羊の足跡」に着いた。巨岩にくぼみがあり、雨水がたまっている。なぜに羊?と一瞬、首をかしげるが、羊とは国の特別史跡「多胡碑」に記されている「ひつじさま」こと羊太夫のことだ。羊太夫は、身長2mを超える大男で、多胡郡をおさめる郡司だった。たいへん足の速い馬にのり、一日で大和朝廷(奈良県)まで行くことができたという。その彼が跳び立つ時に、蹴ってできた足跡だといわれている。目測で40cmはある大きな足だ。同じような足跡が、名古屋にも残っているというのだから伝説とは面白い。
■日だまりが心地よい展望の山頂広場
ここまで来れば山頂は近い。この先、コース一番の急登が待っているが、傾斜のキツイ所にはロープが張ってあるので、それほど難儀はしない。少し息が切れた頃に、ぽんと開けた山頂に飛び出した。ゆっくり歩いて1時間15分の徒行だった。
頂上は雑木林に覆われているが、北方の眺めは良い。今歩いて来た尾根沿いに、浅間山を見下ろす。遠くに高崎の市街地がかすんでいる。南に下った所に何本か空堀跡があり、ここに山城があったことがわかる。空堀の先の一段低い所に、日当たりのよい開けた場所がある。休憩をするなら、ここが風もなく暖かくてよいだろう。
山頂を示す立て札に「まちすい」の文字を見つけた。吉井町まちづくり推進委員会の略で、地元のボランティア団体である。まちすい発行の「八束山登山道案内」が吉井町役場にあるので、事前に入手しておくとよい。
西ルートも近年整備されたようだが、岩場もあり健脚向けとのこと。復路は来た道をもどり、吉井温泉「牛伏の湯」で汗を流してから帰ることにした。(フリーライター/小暮 淳)

吉井町塩地区にある佐藤金属工業の斜め前に、登山者用駐車場がある。登山道入口は、その先100mほど行った右側。まずは手前のピーク、浅間山を目指して登り出す。
雑木に囲まれた道は広くて歩きやすいが、ひたすら登りがつづく。雨が降った後でもないのに路面が湿っているのは、沢筋の日陰道だからだろうか。滑りやすいので注意が必要だ。10分ほどで、虚空蔵様を祀ったお堂の境内に出た。毎年、春には地元塩地区の人々により祭りが行われるという。吉井町から赤城山方面の眺望がいい。お堂の先、約40mの分岐を浅間山方面に行かずに10mほど直進すると「蚕神社」がある(道標はない)。神社といっても大きな岩の上に石碑があるだけだが、地元の人たちがかつての養蚕の繁栄を願って建てたもののようで興味深い。
浅間山山頂(278m)では、大きな「天狗松」が出迎えてくれた。ねじれ曲がった独特の形をした松だが、残念ながら枯れてしまっている。その昔、この山に天狗が棲んでいたという言い伝えがあるらしい。そう、地元の小学生の可愛い字で書かれた説明板が立っている。
■ひつじさまの伝説が残る尾根道歩き

小休止のあと、八束山の山頂を目指して歩き出す。折角ここまで登ってきたのに、一旦下るとはもったいない……。そう思いながら見上げる八束山の姿は、高く大きく見える。でも、もうひと頑張りだ。
なだらかな尾根づたいの道が始まり、ここからの景色が素晴らしい。東方が開け、牛伏山の雄姿が視界いっぱいに広がった。南側から望む無骨な山容と異なり、シャープな稜線を描いている。時折、西方の木々の間からは、もう一つの吉井三山、朝日岳が望める。羽衣をまとったような尾根筋が美しい、「多胡美人」の名に恥じないフォルムである。
浅間山から約20分、「羊の足跡」に着いた。巨岩にくぼみがあり、雨水がたまっている。なぜに羊?と一瞬、首をかしげるが、羊とは国の特別史跡「多胡碑」に記されている「ひつじさま」こと羊太夫のことだ。羊太夫は、身長2mを超える大男で、多胡郡をおさめる郡司だった。たいへん足の速い馬にのり、一日で大和朝廷(奈良県)まで行くことができたという。その彼が跳び立つ時に、蹴ってできた足跡だといわれている。目測で40cmはある大きな足だ。同じような足跡が、名古屋にも残っているというのだから伝説とは面白い。
■日だまりが心地よい展望の山頂広場
ここまで来れば山頂は近い。この先、コース一番の急登が待っているが、傾斜のキツイ所にはロープが張ってあるので、それほど難儀はしない。少し息が切れた頃に、ぽんと開けた山頂に飛び出した。ゆっくり歩いて1時間15分の徒行だった。
頂上は雑木林に覆われているが、北方の眺めは良い。今歩いて来た尾根沿いに、浅間山を見下ろす。遠くに高崎の市街地がかすんでいる。南に下った所に何本か空堀跡があり、ここに山城があったことがわかる。空堀の先の一段低い所に、日当たりのよい開けた場所がある。休憩をするなら、ここが風もなく暖かくてよいだろう。
山頂を示す立て札に「まちすい」の文字を見つけた。吉井町まちづくり推進委員会の略で、地元のボランティア団体である。まちすい発行の「八束山登山道案内」が吉井町役場にあるので、事前に入手しておくとよい。
西ルートも近年整備されたようだが、岩場もあり健脚向けとのこと。復路は来た道をもどり、吉井温泉「牛伏の湯」で汗を流してから帰ることにした。(フリーライター/小暮 淳)
タグ :高崎周辺の里山をゆく浅間山
Posted by ちいきしんぶん at 11:26
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