2007年02月24日

誰にでも夢をかなえるチャンスはある

ちいきしんぶん2007/02/23号掲載

●アジア大会ソフトテニス 金・銀メダリスト 篠原秀典さん
 昨年12月、アジア競技大会ソフトテニス競技(カタール・ドーハ開催)で、見事に男子団体の金メダルとシングルスの銀メダルを獲得した篠原秀典さん。高崎北高校の体育講師として教壇に立ち、学生たちにソフトテニスの指導するかたわら、すでに新たな目標へ向かって動き出していた。

 



●ラケットとボールが遊び相手
 昭和58年生まれ、23歳。渋川市で育った少年時代、物心ついた時にはすでにラケットを持ってボールを追っていたという。篠原家では、それが当たり前の環境だった。
 両親はソフトテニスを通じて知り合って結婚、祖父もまたソフトテニスを生涯の趣味としていた。5歳上の兄も、ひと足先にソフトテニスを始めていた。幼子が箸の持ち方を覚えるのと同様に、ラケットでボールを打つことは、篠原家では極自然なことだったのだ。
 「親に強制的にソフトテニスをやらされたという記憶はありません。いつも自分からラケットを持って、ボールと遊んでいましたね」
 本格的にソフトテニスを始めたのは、小学校3年生からだった。地元のジュニアクラブに、週2回の練習に通いだした。天性の勘の良さと抜きに出た運動神経は、見る見るうちに才能を発揮した。小学5年、6年と県大会優勝を果している。もちろん中学校でもソフトテニス部に在籍し、大好きなソフトテニスに明け暮れた。
 「中学時代から高校へ行ってもソフトテニスをやろうと決めていました。それ以上に�将来僕は絶対にソフトテニスで日本一になる�そう自分に言い聞かせていました。こんなに好きなのだから、本気でやればできると信じていました」
 篠原さんの壮大な夢への挑戦が、この頃から始まった。

●絶対にソフトテニスで日本一になる!

 体育教師をしている父の勧めもあり、高校はソフトテニスが強い東京農大第二高校へ進学した。しかし高校のレベルは思っていたより高く、1年生ではレギュラーに入れず、力の差を痛感したという。
 渋川から高崎への電車通学。朝は6時に家を出て、始業のベルが鳴るまで朝練習に励んだ。帰りは、時間ギリギリまで部活動をして電車に飛び乗った。3年間、毎日が同じことの繰り返しだった。
 「家に帰ると、食事をして風呂に入って寝るだけ。好きなことだから愚痴は言いませんでしたが、いつも親は何も言わずに見守っていてくれましたね。その頃は感じなかったけれど、今になって感謝しています。今の僕があるのは、親の理解があればこそです」
 そのひたむきな努力は徐々に結果として現れた。1年生で県大会2位、2、3年は優勝。さらに、関東大会優勝まで導いた。大学進学は迷うことなく、兄が通っていた日本体育大学へ。日本一への夢に向かって、一歩また一歩と着実に駒を進めていた。ところが、「全国から強者が集まる大学は、全然レベルが違いました。高校でインターハイベスト8になった自信が、まったく通用しなかった。上には上がいることを知りました」
 それでも持ち前の明るい性格は、決して弱音を吐かなかった。「好きなことだから苦しくても乗り越えられる」と、自分を信じてやまなかった。

●日本からアジアへ、次は世界だ!

 大学時代には、団体・シングルス合わせて4度の全国学生選手権の覇者となる。そして平成17年、4年生の時に、全日本シングルス選手権大会での優勝を果たす。ついにこの日、彼は長年の夢をかなえ日本ソフトテニス界の頂点に立った。「日本一になる」と自分に誓った時から、かれこれ10年近い歳月が経っていた。
 「自分は特別な人間じゃない。ただひたすら日本一になりたいと、本気でソフトテニスをやって来ただけ。誰でもソフトテニスを好きになることはできます。楽しむだけなら、好きになるだけでいい。でも、もし勝ちたいなら、強くなりたいなら、試合の時だけでなく練習の時に勝ちたいと思うこと。絶対自分はできる! という強い意志を持つこと。本当に好きなことなら、本気でやれば必ずできるはずだから」
 全日本で優勝した篠原さんは、同年の東アジア競技大会で団体準優勝の成績を収めた。
そして迎えた昨年12月、カタールのドーハで開催された「第15回アジア競技大会」で、かつて日本人が成しえていなかった男子団体初優勝、シングルス日本人初の銀メダルを手にした。
 「誰にでも夢をかなえるチャンスはある。そう僕は自分に言いつづけています」
 今秋、世界選手権大会が韓国で開催される。篠原さんの打つ夢というボールは、日本からアジア、そして世界へと新たなコートへ向かって飛び出した。

Posted by ちいきしんぶん at 23:55 │2007年・特集記事