2006年05月19日
新生高崎市に観光スポットも仲間入り その2 旧倉渕村エリア
ちいきしんぶん2006/5/19号掲載
幕末の偉人、小栗上野介の足跡をたどり、歴史の一幕をのぞく
今年1月の市町村合併で、群馬町、箕郷町、倉渕村、新町の各町村が「高崎市」になりました。そして各エリアの観光スポットも高崎市の仲間入りをしたことになります。ここでは、旧町村ごとの見どころをご紹介しています。
倉渕村(現・高崎市倉渕町)は、日本の原風景が今なお残る、のどかな里山です。鎌倉時代から信州と上州を結ぶ街道として栄えました。道祖神が数多く残されているのもその名残かもしれません。また、倉渕といえば、幕末から明治時代、日本の近代化に大きく貢献した「小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)」ゆかりの地としても知られています。5月21日には「小栗まつり」も開催され、全国から多くの歴史ファンが訪れます。
幕末の偉人、小栗上野介の足跡をたどり、歴史の一幕をのぞく
今年1月の市町村合併で、群馬町、箕郷町、倉渕村、新町の各町村が「高崎市」になりました。そして各エリアの観光スポットも高崎市の仲間入りをしたことになります。ここでは、旧町村ごとの見どころをご紹介しています。
倉渕村(現・高崎市倉渕町)は、日本の原風景が今なお残る、のどかな里山です。鎌倉時代から信州と上州を結ぶ街道として栄えました。道祖神が数多く残されているのもその名残かもしれません。また、倉渕といえば、幕末から明治時代、日本の近代化に大きく貢献した「小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)」ゆかりの地としても知られています。5月21日には「小栗まつり」も開催され、全国から多くの歴史ファンが訪れます。
■小栗上野介とは
上野介は1827年、譜代の旗本・小栗家に生まれました。1860年(万延元年)、34歳のとき井伊直弼大老の抜擢により、遣米使節として渡米。世界一周の旅から帰国するや外国、勘定、江戸町、歩兵、陸軍、軍艦、海軍の各奉行を歴任するなど、江戸幕府の要職として、日本近代化の礎を築きました。
主な業績としては横須賀造船所建設、日本初のフランス語学校の設立(横浜)、鉄鉱山の開発(下仁田町)、鉄道や新聞発行を提唱するなど、まさに近代化の基礎方策を着実に実現したのです。
幕府崩壊後は権田村(現・高崎市倉渕町権田)に移り住み、若者の教育を目指しました。しかし、彼の実力を危惧した新政府軍によって、無実の罪により、斬首されてしまいます。
地域の人々は上野介の偉功や人徳を偲び、明治以後、墓を建て(東善寺)、現在でも顕彰活動や供養を続けています。
■上野介も愛した里山
倉渕は旗本小栗家の知行地(領地)であったことから、小栗家とは深い縁がありました。幕府崩壊後、上野介が移り住んだのもその縁があったからでしょう。
農業用水に困っていた村人のために用水(小高用水)を引いたり、権田の観音山に屋敷を建てようとするなど、この地に大変な愛着を持っていたと思われます。しかし、屋敷の完成を見ることなく無念の最期を遂げることになってしまったのです。屋敷自体は前橋総社町に現存し、一般の方の住まいになっています。
■没後138年の「小栗まつり」
小栗まつりは、小栗父子と殉難の家臣、村人のすべてを供養するお祭りです。【注】今年は5月21日(日)に開催されます。倉渕中央小学校体育館では、式典と記念講演「遣米使節小栗忠順の従者・木村鉄太の世界一周」など。
東善寺では「墓前祭」として、献花や群馬マンドリン楽団による記念演奏会、歴史ファンにはたまらない研究発表などが行われます。(詳しくは東善寺のホームページでご確認下さい)。また、一般の人も楽しめる、昼市(地酒、手打ちソバ、マスの塩焼き、農産物や工芸品の販売など)、フリーマーケットが開かれます。こうしたお祭りをきっかけに、上野介が生きた歴史や時代背景をのぞいてみてはいかがでしょう。
【注】小栗まつりの情報は、この記事が掲載された2006年5月のものです。最新の情報は直接下記関係機関へお問い合わせください。また、kubarunewsでもおでかけ情報に最新のイベント等を掲載していますので、参考にしてください。
紙面の都合上、上野介の壮絶なドラマを、すべてご紹介することはできませんが、幕末から明治という激動の時代を知るいいチャンスではないでしょうか。また倉渕エリアの豊かな自然を満喫し、温泉でのんびりするのも一興です。
上野介父子が非業の最期を遂げた後、倉賀野河岸に着いた引越荷物の中に庭木類がありました。旧領地(高崎・下斉田村)の名主が買い取りましたが、明治初年権田の村人が墓をつくると、墓参に来た名主は墓のそばに椿とシャクヤクを植えていきました。その後シャクヤクは、胸像のそばに植え替えられ、今も花を咲かせています。
※写真提供:東善寺
お問い合わせは
■高崎市倉渕支所・地域振興課 TEL.027-378-3111(代)
■東善寺(とうぜんじ) TEL.027-378-2230
東善寺ホームページ

上野介は1827年、譜代の旗本・小栗家に生まれました。1860年(万延元年)、34歳のとき井伊直弼大老の抜擢により、遣米使節として渡米。世界一周の旅から帰国するや外国、勘定、江戸町、歩兵、陸軍、軍艦、海軍の各奉行を歴任するなど、江戸幕府の要職として、日本近代化の礎を築きました。
主な業績としては横須賀造船所建設、日本初のフランス語学校の設立(横浜)、鉄鉱山の開発(下仁田町)、鉄道や新聞発行を提唱するなど、まさに近代化の基礎方策を着実に実現したのです。
幕府崩壊後は権田村(現・高崎市倉渕町権田)に移り住み、若者の教育を目指しました。しかし、彼の実力を危惧した新政府軍によって、無実の罪により、斬首されてしまいます。
地域の人々は上野介の偉功や人徳を偲び、明治以後、墓を建て(東善寺)、現在でも顕彰活動や供養を続けています。
■上野介も愛した里山
倉渕は旗本小栗家の知行地(領地)であったことから、小栗家とは深い縁がありました。幕府崩壊後、上野介が移り住んだのもその縁があったからでしょう。
農業用水に困っていた村人のために用水(小高用水)を引いたり、権田の観音山に屋敷を建てようとするなど、この地に大変な愛着を持っていたと思われます。しかし、屋敷の完成を見ることなく無念の最期を遂げることになってしまったのです。屋敷自体は前橋総社町に現存し、一般の方の住まいになっています。
■没後138年の「小栗まつり」
小栗まつりは、小栗父子と殉難の家臣、村人のすべてを供養するお祭りです。【注】今年は5月21日(日)に開催されます。倉渕中央小学校体育館では、式典と記念講演「遣米使節小栗忠順の従者・木村鉄太の世界一周」など。
東善寺では「墓前祭」として、献花や群馬マンドリン楽団による記念演奏会、歴史ファンにはたまらない研究発表などが行われます。(詳しくは東善寺のホームページでご確認下さい)。また、一般の人も楽しめる、昼市(地酒、手打ちソバ、マスの塩焼き、農産物や工芸品の販売など)、フリーマーケットが開かれます。こうしたお祭りをきっかけに、上野介が生きた歴史や時代背景をのぞいてみてはいかがでしょう。
【注】小栗まつりの情報は、この記事が掲載された2006年5月のものです。最新の情報は直接下記関係機関へお問い合わせください。また、kubarunewsでもおでかけ情報に最新のイベント等を掲載していますので、参考にしてください。
紙面の都合上、上野介の壮絶なドラマを、すべてご紹介することはできませんが、幕末から明治という激動の時代を知るいいチャンスではないでしょうか。また倉渕エリアの豊かな自然を満喫し、温泉でのんびりするのも一興です。
上野介父子が非業の最期を遂げた後、倉賀野河岸に着いた引越荷物の中に庭木類がありました。旧領地(高崎・下斉田村)の名主が買い取りましたが、明治初年権田の村人が墓をつくると、墓参に来た名主は墓のそばに椿とシャクヤクを植えていきました。その後シャクヤクは、胸像のそばに植え替えられ、今も花を咲かせています。※写真提供:東善寺
お問い合わせは
■高崎市倉渕支所・地域振興課 TEL.027-378-3111(代)
■東善寺(とうぜんじ) TEL.027-378-2230
東善寺ホームページ
Posted by ちいきしんぶん at 10:00
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