2007年12月06日

昭和を旅する 気分はチンチン電車に乗って

2007/12/7ちいきしんぶん掲載


昭和を旅する
東武伊香保軌道線「高崎線」
旧群馬町かるたに『その昔電車も通った高渋線』という札がある。これは昭和28年6月30日に廃止された東武鉄道伊香保軌道線の高崎線のことだ。明治26年9月、高崎駅を起点とし、渋川長塚町を終点とする群馬馬車鉄道が開通。同43年8月、高崎水力電気による電気鉄道が運行し、昭和2年から経営は東武鉄道へ移った。廃止されるまでの半世紀にわたり「チンチン電車」の愛称で親しまれながら、明治・大正・昭和の高渋線を往来していた。

■駅前に「チンチン」と鐘がなる
 昭和28年、6月某日—。
 今月いっぱいで廃止されてしまうというチンチン電車が、国鉄高崎駅西口で、すすけた木造の車体を休めていた。発車の時刻まで、まだ間がありそうだ。
 高層ビルが建ち並び、縦横に横断歩道橋が連なった現在の駅前からは、想像もつかないほどに殺風景で、こじんまりとした印象を受ける。昼下がりのこの時間は人影もまばらで、客待ちのタクシーが数台、商売っけもなく停まっていた。
 駅前広場の南の端に「澁川・伊香保ゆき 電車のりば」と書かれた電光看板が建っている。現在のアパホテルの前あたりだろうか。停車場には待合室、電話、切符売場が設けられていた。
 白と茶に塗り分けられた電車の中は、現在の路線バスの車内と比べても、かなり狭い。床から壁、天井にいたるまで、すべてが木造だ。荷物棚はなく、吊革だけが下がっている。定員約35名、多いときは倍以上の人が乗り込み、乗降口まで鈴なりになったという。
 車掌が白いロープを引いて、運転手に合図を送った。「チョンチョン」と2回引くと、運転台の鐘が「チンチン」と鳴った。一瞬、グラっと車体が揺れたかと思うと、グググーと鈍い音を立てて車輪が回り出した。渋川新町まで21・5、1時間10分のチンチン電車の旅が始まった。

■あの店、この店、今もある店
 停車場を出た電車は大きく左にカーブを切ると、駅前通りの真ん中を走り出した。人や自転車は、通りの端を通っている。自転車に客車を付けた「輪タク」が、のんびりと客待ちをしている光景は、まさにアジアを旅している気分だ。前方に視界を遮る高層建造物は一切なく、正面に「新町」のT字路が見える。当然、市役所へ抜ける現在の道など、この頃はない。
 右車窓に木造三階建ての田島屋旅館が見えるが、これは今はない。でも左手の豊田屋旅館は、現在とまったく変わらぬ外観でたたずんでいる。入母屋造り瓦葺き屋根、漆喰の壁、木枠の引き戸、そして異彩を放つ唐破風の玄関——。明治12年創業の駅前旅館の風格は、この頃も今も同じだ。
 T字路で電車は右に曲がり、田町通りを北上し始めた。左手のお茶の「沼田園」、右手の「赤羽レコード」は今も健在だ。Yシャツに学生帽をかぶった学生が数人、店内をのぞき込んでいる。隣りの「増村酒店」も今もある。54年後の現在もある店を探すのが、面白くなってきた。右前方に移転前の「高島屋」が見える。手前はお茶の「金子園」、その向こうはパンの「日英堂」だ。慈光通りに差しかかり、右を望むとお寺が見えたのでドキッとした。正面の安国寺で、道は行き止まりだ。慈光通りは、お寺の上に作られた道だったことを知る。

■電車山を目指して速度を上げた
 停留所が近づくと、車掌が白いロープを「チョン」と一回引く。すると鐘が「チン」と鳴り、それを合図に運転手がブレーキをかけて電車は止まった。動き出してもスピードは、大人が走るくらいの速さ。だから乗り遅れた人も、追いかけて飛び乗ってくる。
 九蔵町に差しかかると、前方に「横浜銀行」のドーム型の屋根が、ひと際目立って見える。隣りの角型の塔は「高崎商工会議所」の時計台で、その向こうの丸い塔は「埼玉銀行」だ。なんだか映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を観ているような、古き良き昭和の風景が次から次へと展開する。
 現在とまったく変わらない外観は、寝具の「金澤屋」だ。さすが老舗の風格がある。電車は、その先の本町三丁目の交差点で左折した。正面の「小林たばこ店」は、現在も営業している。
 停留所の位置と名前は、現在のバス停と、あまり変わっていない。「本町一丁目」は高崎神社の入口で、結婚シーズンや七五三の時期には乗降客で賑わっていたらしい。電車は赤坂四ツ角を右に曲がり、いよいよ高渋線を北上する。
 「相生町」「住吉町」と過ぎ、このまま直進して信越線を渡るのかと思いきや、突如、長野堰用水路の手前(現在の小川薬局先の路地)で、路面から離れて専用軌道敷を右へ入って行った。この先に「電車山」と呼ばれる高架橋があるからだろうか、電車は速度を上げ出した。用水路を渡り、勢いをつけて電車山を登って行く(現在、軌道敷跡は児童公園になっている)。信越線の線路を越えて左へ下ると、「飯塚」の停留所(現・北高崎駅の北側)に着いた。

■昭和の匂いを残して平成へ
 中川村、堤岡村とチンチン電車は、高渋線沿いをゆっくりと北上する。観音寺周辺は、現在とあまり雰囲気は変わっていない。「金古」の停留所には交換場があり、ここで上り下りの電車が互いの通過を待つ。この時間を利用して運転手は、電車の点検をしたり、ポイントに油をさすなどの作業をしていた。また、この頃のチンチン電車はレールの深さが浅かったため、よく脱線した。そんな時は乗客も一緒になって、バールや鉄棒を使って脱線を直したという。なんとも、のどかな時代である。
 渋川市に入り、「長塚町」の停留所を過ぎると県道から離れ、現在の大谷旅館の北を右にカーブして住宅街へ入って行く。専用軌道敷は2つに分かれ、車庫や工場へつづく引込線が左へ延びている。平沢川の鉄橋を渡り、終点「渋川新町」に着いた。東側に前橋線と伊香保線の発着所がある立派な駅舎が見える。それに比べると、駅裏に着く高崎線はホームもなく、さみしい所だ。当時は、高崎〜渋川間を通して乗る客は滅多にいなかったという。
 電車から降りると、そこには平成の渋川の街が広がっていた。白銀屋の駐車場の前でポツンと一人、車の往来を眺めていた。一度、思いっきり深呼吸をしてみた。ほんの少しだけ、昭和の匂いが残っていた。
(フリーライター/小暮 淳)
〈参考文献〉
  • 「思い出のチンチン電車 伊香保軌道線」「群馬の鉄 道」(あかぎ出版)
  • 「渋川のチンチン電車の歴史」(渋川市教育委員会)
  • 「歴史写真集 目で見る渋川」(渋川市)
  • 「群馬町かるた」(旧群馬町) 他北野田信 越 線有馬小倉石原■駅前に「チンチン」と鐘がなる
    ※本文中の写真は田部井康修氏撮影のもの

  • Posted by ちいきしんぶん at 12:25 │2007年・特集記事